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ガール ウィズ ドラゴンタトゥー

見てしまった。噂は聞いていた。特報を見た時ちびり、(あのカットがすごい早いヤツ)予告編を見た時、背筋に寒気を覚えた。本は読んでないし、スウェーデンのオリジナルも見たかったが大好きなデビットフィンチャーが監督するというので、先にこっちを見ようと見ない様にしていた。

衝動的にぶらっと近くの映画館に見に行ったが、一人で見に行って良かった。男友達ならまだいいが、女性や家族と見に行ったら非常に気まずくなる映画だと思う。(老夫婦が映画館に多くてびっくりしたけど)確実に好きか嫌いに別れる作品だが、僕は非常に好きだ。久しぶりにこんなバイオレンスでセクシーな映画を見た。もうオープニングタイトルシークエンスを見た時に、こんな素晴らしい世界に3時間もいさせてくれるフィンチャーに感謝していたが、その後も2時間48分間、一分もつまらないとは思わなかった。

まだこれから見たい人もいると思うので、中身に関してはあまり詳しくは書かないが、女性に対する暴力への反抗がメッセージとして感じられた。僕が一番嫌う犯罪行為だから、その部分が全面的に押し出されているように感じたかも知れない。正直、痴漢とかレイプとかセクハラとかに対しては言葉では言い表せないくらい嫌悪感を覚える。そういう犯罪に対するアンチテーゼによって本作は描かれているので、僕は主人公のジャーナリストよりも、もう一人の主人公である社会に適合出来ていない天才少女を応援したくなるし同情もする。

さて中身ではなく、テクニックについてだが、「描写する題材ではなく、描写する表現方法の方が大事である」というのはヒッチコックの言葉だ。画家が描いたリンゴの絵があるとすると、画家がなぜリンゴを描いたのかではなく、どうやってリンゴを描いたかの方がアーティストにとって大事であると彼は言っていた。それに同感するわけではないが、この作品はそうかもしれないと思う。フィンチャーらしさが存分に出ている作品だった。絶妙なタイミングで主人公がスイッチするのも素晴らしいし、編集のリズムも音楽のセンスもダークな照明も抜群だ。それにカット(アングル)の数が半端じゃなかった。アメリカは日本と違い、様々なアングルで同じシーンを通して取るので、役者の人たちはシーンを最初から最後まで何回も通して演技をする。日本ではカット割りという技法で、時間の節約のため(昔はフィルムの節約のため)このアングルではこの台詞からこの台詞までしか撮らない、という方法が主流だ。アメリカではテレビでしかカット割りを使っていない。しかもフィンチャーは1つのアングルに平均して20テイクぐらい撮る。40テイクもざらにあるらしい。つまり1シーンに対して12のアングルがあったら、単純計算で240回同じシーンを撮り続ける。

そこまで一つ一つのショットにこだわっているから、こういうすごい映画が出来るのかと思う。普通、映画を見ていると、技術的なミスが最低でも2、3、目に止まる。(ひどい時は多すぎて数えられないくらいあるけど、、、)しかし、この映画を見ていたら一部の隙もなく、1コマ1コマからサウンドまで全てが意図的に作られているようで、その類いまれなテクニックに終始魅了されっぱなしだった。(スピルバーグのタンタンもそうだったな)

役者の一人がインタビューで言っていたが、フィンチャー監督は自分のやりたい様に撮るために撮影時間をきちんと確保すると言っていた。駆け出しの頃からそういう風に出来ていたわけではない。ただこの映画を見て、僕は別に240回も同じシーンを撮ろうと思わないが、自分の想い描いた映画を作るために必要な事をきちんと確保出来るような監督になるのを今後の大きな目標にしたいと思った。

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